仕事(diary)

夏目漱石と薬の関係

ちょっと変わった事と思われてしまうと思いますが、昔の薬を集める事を趣味としていた時期がありました。

昔、というのは勝手に明治時代~昭和20年あたりを差します。(ちなみに日本薬局方の初版は1886年:明治19年)

なんでそんなものを収集し始めたかというと、昔の文学作品を読んでいると、しばしば薬が登場するからです。薬剤師、薬剤師になろうとしていた身としては、気にならないはずがありませんでした。

文学は薬が変えてしまいました。

文学というものは、しばしば生きる事の儚さによって、脚色されてきました。過去、全ての人にとって身近な存在だった「死」というものが、抗生剤をはじめとする薬によって、非常に遠い存在となりました。

「若くして結核を患い、サナトリウムで療養する少年少女」というものは、過去の文学作品の世界でしかありません。文学を語るにあたり、薬の存在を抜きにして語る事は出来ないと思うのです。

もちろん現代であっても病を抱える主人公を題材とした作品はありますが、ドキュメンタリー(ノンフィクション)でなければかなり現実味に欠けてしまう事は否めません。

過去の作品や作家を辿る事で、薬の歴史もまた見えてきます。そのような訳で、「薬と文学」という事をテーマに少しずつではありますが、加筆修正も加えつつ、記事にしていきたいと思います。

本来であればこういった記事にはふんだんな写真が必要だとは思いますが、貴重なコレクションの一部、本日記事で触れさせて頂く薬についても、初版の事情によりドイツに行ってしまったので、そこはあらかじめお断りさせて頂きます。

夏目漱石「吾輩は猫である」の薬

夏目漱石の死因が胃潰瘍であったということはよく言われていることですし、精神疾患も患わっていたとされています。以前、東京大学の医学部標本室で夏目漱石の脳みそを見たことがあります。

その医学部標本室には様々な人体標本があるのですが、さすが東大、例えば昔に活躍された総理大臣であったり文化人の脳みそがいくつもコレクションされています。脳みそを見ただけではどんな頭脳の持ち主かは分かりませんね。

総合学術電子ジャーナルサイト「J-STAGE」というサイトで、かなり古いですが東京大学医学部標本室に触れた記事があります。

【参考】東京大学医学部標本室:https://www.jstage.jst.go.jp/article/igakutoshokan1954/36/4/36_4_281/_article/-char/ja/

さて、そんな夏目漱石が愛用していたのが「タカヂアスターゼ」という胃薬です。胃潰瘍で亡くなった事が示す通り、漱石は大変な胃弱でした。

この薬は名前の通り、消化酵素剤です。『吾輩は猫である』の一説に記載があります。もしお読みになった事がない方には、背景が分かりづらいと思いますが、該当部分を引用します。

吾輩である猫が、飼い主の苦沙弥(クシャミ)先生の日常を観察しているところです。

苦沙弥先生は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。

消化酵素剤は今でもいくつかの医薬品が販売されていますし、医療機関で処方されることはかなり減ったものの、OTCでは一定のニーズがある商品です。

このタカヂアスターゼは、当時の三共から発売されていますし、今でも第一三共株式会社から、『新タカヂア錠』(成分:タカヂアスターゼN1)と言う名前で販売されています。医療用医薬品もありますね。

ヂアスターゼなんて馴染みないなぁと思う方もいるかもしれませんが、アミラーゼの事です。αアミラーゼ、βアミラーゼ、学校で習いましたよね。いわゆる消化酵素です。

残念ながら色々な著作等で、タカ“ジ”アスターゼと誤記されていますが、文学上で使用・引用するのであれば、タカ“ヂ”アスターゼです。これを読んで頂いた皆さんはお間違えないようお願い申し上げます。文学上であって、現代であればタカジアスターゼでも間違いありません。

夏目漱石の常備薬

薬学生は大丈夫だと思いますが、アセチルサリチル酸、聞いたことあるけどなんだっけ?と思った方は記憶力が減退してます。アスピリンの事です。

アスピリンと言えばバイエル社の開発で、世界で初めて人工合成された薬です。1899年に発売されました。画期的な新薬もいいんですが、120年も使われ続けている薬というのも、考えてみたらすごい事ですね。

このアセチルサリチル酸もまた、夏目漱石が愛用していた薬でした。いまほど薬の効能効果や副作用がはっきりとわかっていない中で、この薬は頭痛や神経症状にも使われていましたし、当時の日本の状況は分かりませんが、漱石は咳止めとして使用していました。

今では考えられませんが・・・もし喘息患者の咳止めとして使用されていたら悲惨な話です。もっともアセチルサリチル酸(=バイエルアスピリン)は、新薬として大々的に人気があった商品ですから、様々な症状に使われていたとしても不思議ではありません。

胃弱とアスピリン

という事で、たいへんな胃弱であった夏目漱石はタカヂアスターゼが必要不可欠であった一方で、アセチルサリチル酸も常用していました。

胃弱とアスピリン、そして慢性的な胃潰瘍。卵が先かにわとりが先かは分かりませんが、アスピリンが漱石の胃をより悪くしていったという事は想像に難くありません。

もし出血すればその抗血小板作用により出欠が止まらないという状況。現代でもアスピリンによる抗血小板作用による出欠という副作用は看過できないものですが、当時、副作用などの知識が何もないなかで、漱石が苦しんでいた事は何とも悲劇的な事です。

文学と薬

冒頭で申し上げたように、幾つかのコレクションが手元にありません。あまり価値のないものは結構あるのですけどね。

バイエルアスピリンについては、第二次世界大戦あたりの時代のものでそこまで古いものは持っていませんでしたが、写真にだけ撮ってありました。10年以上前に撮影したものです。

Genuine」とありますね。偽物も多く流通していたという事でしょうか。これも製造はバイエル社ではないんです。バイエルアスピリンの商標などは色々と権利関係がややこしいのです。

なんでこの薬が無いかとういうと・・

バイエル社は大変歴史のあるドイツの会社です。

2010年にドイツバイエル社員の方が、2013年に150周年を迎える活動の一環で各国の歴史的物品をドイツ本社で調査・管理するため来日しました。

そして、ちょっと私もいろいろと関係があったもので、上記写真のバイエルアスピリンをはじめ複数のバイエル社の薬が史料としてドイツ本社に送付される事になりました。

感謝状とか記念品でも頂けるのかと思いきや、その後、日本のバイエル社からも連絡がとれない状態です。タダでお譲りしています。返して…。

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