薬事法、現在では名前が変わり薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)となっていて、「旧薬機法」などと表現されます。
普段わたしたち薬剤師は、この法律に則り仕事を行っています。法律自体はあまり詳しく知らなくても、薬局などではそれに沿った手順で業務を行っているはずです。
万が一、これに反するような事があれば、当然のことながら「法を犯している」という事になって行政処分の対象。
ただその昔「薬事法は憲法違反」と裁判で決着した事があったのです。その一連の訴訟は、薬局距離制限事件と呼ばれています。
薬局距離制限事件|広島地裁から裁判が始まる
この薬局距離制限事件、私を含め年配の方は知っていると思いますし、薬学部の授業でも少し触れた場面があったかもしれません。私も大学で習ったような習ってないような、、、
今でも学ぶものなんでしょうか!?
過去薬事法が違憲であった部分があったという判決。これって極めて特殊なんです、法令が違憲であるという判決。
広島地裁からの訴訟は最終的に最高裁の判断を仰ぐ事となり、違憲と判断されました。昭和50年の出来事です。
このように最高裁での法令違憲判決(法令自体が憲法に違反していると判断される)が出たことは過去10件(2018年8月現在)しかなく、そして、そのうちの2番目の出来事が薬局距離制限事件だったのです。
参考:最高裁における法令違憲判決10例(Wikipedia)
過去存在した薬局距離制限規定
違憲となった規定とは具体的にどういうものだったのか?過去、薬事法では、薬局開設にあたり「適正な配置」を許可基準として定めていました。
薬事法自体にその「適正な配置」の具体的な基準はなかったものの、運用にあたり、その判断は都道府県で制定される条例に委ねていました。
この訴訟の舞台となった広島県における条例は「既存の薬局から100メートルの距離制限規定」を設けており、つまり薬局と薬局の間を100メートルあけなくてはならなかったという事になります。
現在のように、病院前に3つも4つも薬局が立っている現在からすると、想像も出来ないですよね。
いまの薬局の姿が健全かどうかよく議論されますが、昔のほうがよっぽど既得権益が全てで健全では無い気がします。
もしもこの法令が存在し続けていたら・・・
昭和50年に出た違憲判決。もしも訴える人がいなかったら。もしもこの距離制限が残っていたら!
「病院の前の風景を変える」と言っていた、元塩崎厚労大臣の言葉が出てくる事もなく、病院の前には薬局が乱立するどころか、医薬分業は全く進むはずもなく、いったいどんな現在だったのだろうか。
たらればですが、かなり興味深く感じられます、面白いですね。あぁ、そんな事感じるのは私だけかな(笑)
昭和50年の薬局・薬剤師数は?
もっとも「もしも」の話をするにしても、時代背景も十分考慮した上で考えなくては意味がありませんね。(以下初筆字のデータですが、平成30年なのでそれほど違和感はないと思います)
平成30年8月時点での薬局数は、約58,000軒。薬剤師数は、30万人を超えています。
それで昭和50年はどうだったかというと、薬剤師数は約95,000人、なんと今の1/3です。そして気になる薬局数ですが、約27,000軒です。・・意外と多いですね。
とは言えとは言え、取扱い処方箋枚数は、現在の1/10程度です。
【平成30年】
薬局数58,000軒、薬剤師数30万
【昭和50年】
薬局数27,000軒、薬剤師数9.5万
ただし、取り扱い処方箋枚数は、昭和50年→平成30年で10倍に増えている
薬局数の割に処方箋枚数が1/10まで少ない、どういう事か。それで経営が成り立っていたとは、うーん何でなんだろう、想像の域を出ない推測になってしまうのですが、、、。
思うに、今でも「昔からある薬局」を外からみると分かると思うんですが、今ある数多のチェーン薬局のように「調剤専門」という訳では無いですよね。
つまりいわゆるパパママ薬局のような形で、地域に根差して日用品の販売であったり、市販薬の販売をしたりしていて、それが経営の柱として成り立っていたのではないでしょうか(推測ですみません)。
この推測が間違っていないとして、ここから考えさせられる事は、以前から存在していた「パパママ薬局」は、今でいう調剤併設ドラッグストアに近い形態だったと思うんです。
「いまのドラッグストアは調剤も併設して利便性が良くなった!先鋭的!」と思いますが、形態としては、むかしに戻っただけかなとすら思えますよね。地域に根ざした薬局。
パパママ薬局がほぼ壊滅してしまったのは、調剤は調剤専門薬局、日用品は安売り小売業、OTCはドラッグストアと、それぞれ顧客を奪われてしまった事が最大の要因です。
やっぱり値段勝負になると勝てません。医薬品TVCMが盛んに行われ始めた時代ともマッチします。
今の調剤併設ドラッグストアに近いとは書いたものの、やはり規模という面を考えると、大手にはかなわなかったのです。
でもそれも規模的な問題だけであって、経営的な方針としては良いものであったはずであることは、間違いなさそうですね。
- 薬局距離制限規定が引き続き存在していたら、今現在どうなっているのか
- むかしのパパママ薬局(個人経営店)は今の調剤併設ドラッグストアに通じる
今さら思い出しても意味がない「薬局距離制限事件」というものかもしないけど、何か考えさせられる事もあるもホンネです。
薬局距離制限事件詳細
ここからは、授業なら「THE・眠たい」んですが、参考まで当該事件について簡単に概略を説明します。詳細は末尾に参考ファイルをくっつけてあります(超長いです)。
まず違憲判決が出たのは昭和50年ですが、係争がはじまたのは昭和39年です。いやぁ、むかしは本当に裁判に時間が掛かっていましたね・・。
この事件における原告は、広島県で展開していた医薬品・化粧品販売業者であり、昭和38年6月25日、あらたに薬局を設置するにあたり許可申請をしました。
ところが、昭和39年1月27日、県からNGをくらってしまった事に端を発します。
「法令で決まっているのなら当時であれば仕方ないのでは」と思うかもしれませんが、この問題の複雑なところは、薬局の開設許可の申請中に薬事法が改正され、「薬局距離制限規定」が制定されてしまった事です。
係争の内容
【主張】
原告(株式会社角吉)の主張:
薬局開設の距離制限規定は、営業の自由を侵害するものである。
被告(広島県知事)の主張:
すでに申請地域には薬局が複数あり、また当規制は、薬局の濫立を防止し、医薬品の適正な供給に必要な規制である。
①広島地方裁判所において
・第一審事件番号:昭和39年(行ウ)第7号
・控訴審事件番号:昭和42年(行コ)第10号
第一審判決は原告勝訴となったものの、控訴審判決の結果(昭和42年4月17日判決)では、県の主張を認める事となり、原告は敗訴、最高裁判所へ上告する事となりました。
②最高裁において
・事件番号:昭和43年(行ツ)第120号
昭和50年に判決が出るまで、実に7年間を要しているというところに注目されます。昭和39年というと相当前のような気がしてしまいますが、距離制限規定の違憲判決が出たのは、それほど大昔というわけでも無いのです。
最高裁判所大法廷(昭和50年4月30日判決)では、下記の通り示されています。
無薬局地域又は過少薬局地域における医薬品供給の確保のためには他にもその方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的のために設置場所の地域的制限のような強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失するものであつて、とうていその合理性を認めることができない。
上記に記載の通り、そもそも薬局距離制限規定というものは、薬局が少ない地域を考慮して制定された法律であったと読みとれます。
ただそれでどうして100メートル規制となったのかが不明ですが、結局その「意味の無さ」を判断したという事になります。
被告は広島県であったものの、最高裁判決では県の法令自体を問題視するものとはならず、上記判決の通り、薬事法における「薬局距離制限規定」自体が違憲と判断されることとなりました。
それゆえこの判決により、違憲判断の2か月半後には、「薬事法の一部を改正する法律」が公布・施行され、薬事法第6条のうち距離制限を規定していた部分が削除される事となりました。
つまり、薬局開設の許可の要件は、薬局の構造設備ならびに薬局開設の申請者に関する要件のみとなったのです。
そんなわけで、法律に関する部分は記事を書いていて頭が痛くなってきましたが、かつて存在していたこの法律、そしてその違憲判決は、今の薬局のあり方に大きく影響を及ぼすような、とても大きな出来事だったのです。
いまだ10件しかない、法令違憲判決。薬剤師として知っておけば、ちょっと賢くみられるかも?しれませんね。ただのウンチク自慢と思われるだけ、、、かも知れませんが。
・薬事法違憲判決(pdf.ファイルが開きます)